憤ること、即坐に情を洩らすこと、野獣の如くにして而して止むを得ば、恐らく復讐といふものゝ要は無かるべし。然れども人間は記憶に囲まるゝものなり。心界に大なる袋あり、怒をも、恨をも、この中に蓄ふることを得るものなり。再言すれば情緒を離るゝこと能はざるは人間なり。人間の一生は、苦痛の後に快楽、快楽の後に苦痛ありて、而して満足といふものはいつも霎時《せふじ》のものにして、何事も唯だ一時の境遇に縛らるゝものなり。爰《こゝ》に於て、人間の本能の、或部分は、快事[#「快事」に白丸傍点]の為に狂するなり。
復讐の快事なるは、飲酒の快事なるが如く然るなり。日常の生活に於て此事あり。多岐多方なる生涯の中に幾度か此事あるなり。生活の戦争は一種の復讐の連鎖なり。人は此快事の為に狂奔す。人は此快事の為に活動す。斯の如くにして今日の開化も昔日の蛮野《ばんや》に異ならざるなり。然り、ヒユーマニチーは衣装こそ改まれ、千古不変なるものなり。
復讐の精神は、自らの受けたる害を返へすにあり。而して自らの受けたる害を償《つぐな》ふことを得るは、甚だ稀なる塲合なり。己れが受けたる害の為に、対手《あひて》に向つて之に相当なる
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