常に結局を睨《にら》んで立てり。熱意の終るところは結局にあり。
人間の五官は、霊魂と自然との中間に立てる交渉器なり。霊魂をして自然を制せしむる是なり、而して人間の霊魂をして全く自然を離れて独立せしめざる者も、亦た是なり。霊魂の一側は常に此の交渉器を通じて、自然と相対峙す、而して霊魂の他の一側は、他の方面より「想像」の眼を仮りて、自然の向うを見るなり、自然を超えて、自然以外の物を視るなり。人に想像あるは、人に思求あるを示めす者なり。人に思求あるは、人に熱意あるを示めす者なり。熱意は冷淡と相反す。冷淡は人を閑殺し、熱意は人を活動的ならしむ。冷淡は思求なき時の心霊の有様にして、人生の意味少なき塲合を指すなり。
幸福なる生涯には、熱意なる者少なし。熱意は不幸の友なり。熱意は悲哀の隣なり。幽沢《いうたく》邃谷《すゐこく》の中に濃密なる雲霧を屯《たむろ》せしむ。平地には斯《かく》の如き事あらず。国乱れて忠臣興るなり。家破れて英児現はるゝなり。遂げ難き相思益※[#二の字点、1−2−22]恋情を激発し、成し難きの事業愈※[#二の字点、1−2−22]志気を奮励す。不幸の観念は何物をか捉へんとして、捉
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