内部生命論
北村透谷
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)詳《つまびらか》に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)吾人|豈《あに》人間の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「戚/心」、第4水準2−12−68]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)つら/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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人間は到底枯燥したるものにあらず。宇宙は到底無味の者にあらず。一輪の花も詳《つまびらか》に之を察すれば、万古の思あるべし。造化は常久不変なれども、之に対する人間の心は千々に異なるなり。
造化は不変なり、然れども之に対する人間の心の異なるに因《よ》つて、造化も亦た其趣を変ゆるなり。仏教的厭世詩家の観たる造化は、悉《こと/″\》く無常的厭世的なり。基督教的楽天詩家の観たる造化は、悉く有望的楽天的なり、彼を非とし、此を是とするは余が今日の題目にあらず。夫れ斯の如く変化なき造化を、斯の如く変化ある者とするもの、果して人間の心なりとせば、吾人|豈《あに》人間の心を研究することを苟且《かりそめ》にして可ならんや。
造化《ネーチユア》は人間を支配す、然れども人間も亦た造化を支配す、人間の中に存する自由の精神は造化に黙従するを肯《がへん》ぜざるなり。造化の権《ちから》は大なり、然れども人間の自由も亦た大なり。人間豈に造化に帰合するのみを以て満足することを得べけんや。然れども造化も亦た宇宙の精神の一発表なり、神の形の象顕なり、その中に至大至粋の美を籠《こ》むることあるは疑ふべからざる事実なり、之に対して人間の心が自からに畏敬の念を発し、自からに精神的の経験を生ずるは、豈不当なることならんや、此塲合に於て、吾人と雖《いへども》、聊《いさゝ》か万有的趣味を持たざるにあらず。
人間果して生命を持てる者なりや、生命といふは、この五十年の人生を指して言ふにあらざるなり、謂ふ所の生命の泉源なるものは、果して吾人々類の享有する者なりや。この疑問は人の常に思ひ至るところにして、而して人の常に軽んずる所なり、五十年の事を経綸するは、到底五十年の事を経綸せざるに若《し》かざるなり、明日あるを知らずして今日の事
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