閧ノ此語を吐けり、われは日本の文学史に対してこの一種の虚無思想の領地の広きを見て、痛惻に勝《た》へざるなり、彼等は高妙なる趣致ある道徳を其門に辞《こば》み、韻調の整厳なる管絃を謝して容れず、卑野なる楽詞を以《も》て飲宴の興を補ひ、放縦なる諧謔《かいぎやく》を以て人生を醜殺す。三絃の流行は彼等の中《うち》に証《あかし》をなせり、義太夫|常磐津《ときはづ》より以下|短歌《はうた》長歌《ながうた》こと/″\く立ちて之れが見証者たるなるべし。われは彼等の無政府主義なりしや極端なる共和主義なりしや否やを知らず、然れども政治上に於て無政府主義ならずとも、共和主義ならずとも、思想上に於ては彼等は純然たる虚無思想を胎生したりしことを疑はず、あはれむべし人生の霊存《スピリチユアル・エキジスタンス》を頭より尾まで茶にしてかゝりたる十返舎も、一個の傲骨《がうこつ》男児なりしにあらずや、青山を抱《いだ》いて自由の気を賦せしシルレルと、我《わが》好傲骨《かうがうこつ》男子と、其揺籠の中にありし時の距離|何《いくばく》ぞや。
女学子は時勢に激するところありて「膝栗毛」の版を火《や》かんと言《いへ》り。われは女学
前へ
次へ
全29ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング