ヘ慶長の頃かとぞ聞く(慶長見聞記に拠《よ》る)。蓋し乱世の後、人心漸く泰平の娯楽を愬《うつた》へ、彼《か》の芒々たる葦原《よしはら》(今日の吉原)に歌舞妓、見世物|等《など》、各種の遊観の供給起り、これに次いで遊女の歴史に一大進歩を成し、高厦巨屋|甍《いらか》を并べて此の葦原に築かれ、都には月花共に此里にあらねばならぬ様になれり。凡《およ》そ女性の及ぼす勢力はいつの時代にも侮るべからざるものなり、別して所謂|紳士風《ゼントルマンシップ》なる者を形成するには、偉大なる勢力ある事|疑《うたがふ》べからず。故に平民の中にありし紳士の理想は、この遊廓の勢力によりて軽からぬ変化を経たり、読者もし難波及び京都に出でし著作に就きて、彼等の紳士なるものを尋ね見ば、思ひ半ばに過ぐることあらむ。必らずしも巣林子以下の諸輩を引照するに及ばざるべし。遊廓は一個の別天地にして、其特有の粋美をもつて、其|境内《きやうない》に特種の理想を発達し来れり、而して煩悩《ぼんなう》の衆生が帰依するに躊躇《ちうちよ》せざるは、この別天地内の理想にして、一度《ひとたび》脚を此境に投じたるものは、必らずこの特種の忌はしき理想の奴
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