tふこと能はざるは恥辱の如き隆運に向へり。学芸に習《な》れず、奥妙なる宗教に養はれざる平民の趣味には、謡曲は到底応ずることを得ざるなり。故に彼等の中に自《おのづ》から新戯曲の発生熟爛するありて、巣林子の時代に於て其盛運を極めたり。物語の類、例《たと》へば太平記、平家物語、等《など》は高等民種の中《うち》に歓迎せられたりと雖《いへども》、平民社界に迎へらるべき様なし、かるが故に彼等の内には自ら、彼等の思想に相応なる物語、小説の類生れ出でたり、加ふるに三絃の発明ありてより、凡《すべ》ての趣味の調ふに於て大に平民社界を翼《たす》け、種々の俗曲なるもの発達し来れり。斯くの如く諸般の差別より観察し来れば、平民は実に徳川氏の時代に於て大に其思想を煥発《くわんぱつ》したるものにして、族制的大隔離の余《よ》を受けて、或意味に於ては高等民種に対して競争の傾きを成し来れるなり。
 まことや平民と雖、もとより劣等の種類なるにあらず、社界の大傾向なる共和的思想は斯かる抑圧の間にも自然に発達し来りて、彼等の思想には高等民種に拮抗すべきものはなくとも、自ら不覊磊落《ふきらいらく》なる調子を具有し、一転しては虚無的
前へ 次へ
全29ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング