A爰《こゝ》に漸く、多数の預言者を得て孚化《ふか》したる彼等の思想は、漸く一種の趣味を発育し来れり。然れども彼等の境遇は、功名心も冒険心も想像も希望も或る線までは許されて、其線を越ゆること叶《かな》はず、何事にも遮断せらるゝ武権の塀墻《へいしやう》ありて、彼等は声こそは挙げたれ、憫《あは》れむべき卑調の趣味に甘んぜざるを得ざりしは、亦た是非もなき事共なり。
 幕府は学芸の士を網羅するに油断なかりき。幕府のみ然るにあらず、その高等種族(武士)は、文芸を容れて大《おほい》に品性を発揚したり、当時非凡なる学士の、彼等の社界に厚遇せられたる事実は、少しく徳川時代を知るものゝ共に認むるところなり。然《しかる》に是等学芸の士は、平民に対して些《ちと》の同情ありしにあらず、平民の為に吟哦《ぎんが》せし事あるものにあらず、平民の為に嚮導《きやうだう》せし事あるものにあらず、かるが故に既に初声を挙るの時機に達したる平民の思想は、別に大に俳道に於て其気焔を吐けり。幕府は盛に能楽と謡曲とを奮興して、代々《だい/\》の世主厚く能楽の大夫を遇し、而して諸藩の君主も彼等を養ひて、武門の士の能《よ》く謡曲を謳《うた
前へ 次へ
全29ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング