ネる理想となりてあらはれしや。我は前に言へりし如く、二個の潮流あるを認むるなり。その源頭に立ちて見る時には一大江なり、其末流の岸に立ちて望めば二流に分れたり。普通の用語に従ひて、我は其一を侠[#「侠」に白丸傍点]と呼び、他を粋[#「粋」に白丸傍点]と呼ばむ。
何《いづ》れの時代にも預言者あり、大預言者あり、小預言者あり、其宗教に、其思想に、彼等は代表者となり、嚮導者《きやうだうしや》となるなり、彼等は己れの「時」を代表すると共に、己れの「時」を継ぐべき他の「時」を嚮導するなり。イザヤは其慷慨|凛凄《りんせい》なる舌を其「時」によりて得たり、而して其義奮猛烈なる精神をもて、次ぎの「時」の民を率ゐたり、カアライルの批評的眼光を以て覗《うかゞ》へば、預言者は其精神を死骨と共に棺中に埋めず、巍然《ぎぜん》として他の「時」に霊活し、無声無言の舌を以て一世を号令するものなり。古昔《いにしへ》の預言者は近世《ちかごろ》に望むべからず、近世《きんせい》の預言者は文字の人なりと言へる、己れ自《みづか》ら一預言者なるカアライルの言を信ずることを得ば、我は徳川氏時代に於ける預言者を其思想界の文士に求めざる
前へ
次へ
全29ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング