モはながた》」に於て、其他幾多の戯曲に於て、八九歳の少童が割腹したり、孝死するなどの事、戯曲に特有なるヱンサシアズムにてはあるまじき程の過激に流れたり。こゝに一言すべきは、平民に特種の思想生じたりとはいへど、思想は時代の児にてある事勿論なれば、彼等の思想も自《おのづか》ら封建的武勇、別して忠孝の大道を武士の影より鞠養《きくやう》し得たりし事を思はざるべからず。故に彼等の中《うち》に起りし預言者も、一は彼等の趣味に投じ、一は己れの所見に従ひて、自から忠孝即ち武士の理想をもつて平民に及ぼす事なき能はず、これ即ち封建制度に普通なる現象にてあるなり。尚《な》ほ言を換へて曰へば、封建制度は独り武士にのみ其精華なるシバルリーを備へたるにあらず、平民も亦た之を模擬せり、然り、平民の内にもシバルリーは具はりたり、少なくとも侠勇の理想彼等の中に浸潤して、武士の間に降りし雨は平民までをも湿《うる》ほしたること、疑ふべからざるの事実とす。
 かく説き来らば平民社界には「粋」といふものゝ外に、強大なる活気、むしろ理想の侠勇と号するものあることを知らむ。而して我徳川時代に於ける平民の位地を観察すること前陳の如くなりとせば、彼等は其「粋」をも、其「侠」をも偏固なる、矮少《わいせう》なる、むしろ卑下なる理想となしたることも亦、明らかならむ。
 英国のチヨーサーは同国に於て始めてシバルリイの光芒を放ちたる詩人なり、然して其吟詠に上りたるシバルリイは武門の内にあるシバルリイにして、平民の内に其筆鋒を向けざりし、蓋し彼《か》の歴史は我歴史にあらず、彼の貴族は我の貴族の如くに平民と離れたるにあらず、彼の平民は我平民の如くに、貴族に遠き者にあらず、加ふるに彼には平民と貴族とを繋げる宗教の威霊ありて、教堂に集まる時に貴族平民の区劃を無《な》みしたり。而して我にはこの大勢力あらず、宗教にも自《おのづ》からなる階級ありて、印度の古時をうつし出しければ、これも我が平民を貴族より遠ざくるの助けをなせし事明らかなり。彼《かの》シバルリイは朝廷との関係浅からずして、其|華奢《きやしや》麗沢も自からに王気を含みたり、而して我平民社界には之に反して、政権に抗し、威武に敵する気禀《きひん》あるシバルリイを成せり。彼のシバルリイには恋愛の価値高められて、侠は愛と其|轍《わだち》を双《なら》べつゝ、自から優美高讃なる趣致を呈せり
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