チ異の旗幟《きし》を樹《た》てたるや。その始めは、共に至粋の宿れるなり、啻《た》だ一は之を侠勇に形成し、一は之を艶美(所謂粋)に形成したるの別あるのみ。
右は難波と江戸との理想の異色を観察したるのみ、元より侠と言へば江戸に限り、粋と言へば難波に限るにあらず、われは爰《こゝ》に預言者の声を吟味し、その代表する「時」を言ひたるに過ぎず。
(第三)
徳川氏の時代に於て其遊戯、其会話、其趣味を探らんもの、文士の著作に如《し》くはなし。而して文士の著作を翫味《ぐわんみ》するもの、武士と平民との間に凡《すべ》ての現象を通じて顕著なる相違あることを、研究せざるべからず。琴の音《ね》を知り、琵琶の調《てう》を知るものは、之を三絃の調に比較せよ、一方はいかに荘重に、いかに高韻なるに引きかへて、他はいかに軽韻卑調なるに注意するなるべし、斯《かく》の如きは武士と平民との趣味の相違なり。謡曲を聴きたる人は浄瑠璃を聴かん時に、この両者に相容れざる特性ある事に注意するならむ。かくの如く、其能楽に於て、河原演劇に於て、又は其遊芸に於て、もしくは其会話の語調に於て、極めて明晰なる区別あることを知らむ。
蓋《けだ》し我邦《わがくに》は極めて完成せる族制々度を今日まで持ち続けたるものなるからに、吾人の思想も亦た自から単純なりし事は、争ふ可からざる事実なり。而して其単純なる思想は階級に応じて、武士は武士の思想を継ぎ、平民は平民の思想を受けて、甲乙相共に異色をもつて生長し来りぬ。今日の我が語学に志ざすところのものが、我が言語に甚だしき階級語に富めることを言ふも、元より此原因あるによればなり。ヲノリフ※[#小書き片仮名ヒ、1−6−84]ック(敬礼語)に富めるも亦た、この族制々度の完熟せるに因《よ》れること多し、是れ我国言語の特色にして、この特色は以て我邦に於ける貴族(徳川時代にありては武士をも含む)、平民の区界を判ずるに足るべし。
貴族平民の両階級は、徳川氏の時代に入りし時大に乱れたり、徳川氏は三河武士を以て天下を制したるものなれば、従来の階級は概《おほむ》ね壊裂したり、加《くはふ》るに長年の乱世に人民の位地も大《おほい》に前とは異なりて、従来貴族たりし者の落ちて平民の籍に投ぜし者、従来平民たりし者の登りて貴族の位地を占めし者、少数にてはあらざりしならむ。斯《かく》して徳川氏初代の平民
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