philosophy.
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と畏《おそ》れしめたるもの、豈《あに》偶然ならんや。
「ハムレツト」の幽霊は実に此観念、この畏怖より、シヱークスピアの懐裡《くわいり》に産《うま》れたり。其来るや極めて厳粛に極めて凄※[#「りっしんべん+宛」、第3水準1−84−51]《せいわん》なり、恰《あたか》も来らざるべからざる時に来るが如く、其去るや極めて静寂なり、極めて端整なり、恰も去らざる可からざる時に去るが如し。来るや他界より歩み来りたる跡を隠さず、去るや他界に去るの意を蔽はず、極めて熱熾《アーネスト》なる悲劇の真中に、極めて幽玄なる光景を描き出す、茲《こゝ》に於て平生幽霊を笑ふものと雖、悚然《しようぜん》として人界以外に畏るべきものあるを識《し》り、悪の秘し遂ぐべからざるを悟る。彼一篇より幽霊の作意を除き去らばいかに、恐らくはシヱーキスピーア遂に今日のシヱーキスピーアにあらざりしなるべし。
 長足の進歩をなせる近世の理学は、詩歌の想像を殺したりといふものあれど、バイロンの「マンフレツド」、ギヨオテの「フオウスト」などは実に理学の外に超絶したるものにあらずや、毒鬼を仮来《か
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