、或は光暗と云ふが如き、ペルシヤのむかしに、アームズトの神、アハメルの神ありし如く、イスラエルのむかしに、ヱホバ神と悪魔とを対比せし如く、顕著なると顕著ならざると、一神と多神との区別あり、あらざるとに拘《かゝは》らず、彼の元を二にするの性は此観念に離れざるなり。凡《およ》そ詩歌あるの国に於て鬼[#「鬼」に白丸傍点]といふ字のあらざるはなかるべく、神[#「神」に白丸傍点]といふ字のあらざるはなかるべし、コメデイ或は鬼神なきの国にも発達するを得ん、トラゼヂイに至りては必らず鬼神なきの国に興るべからず、シユレーゲルも論じて古神学は希臘《ギリシヤ》悲劇の要素なりとは言へり、げにやソホクルス以下の名什《めいじふ》も、彼国に鬼神なかりせば恐らくは伝ふる程の物にてはあらざりしならむ。
 フヱーリイあり、ヱンゼルあり、サイレンあり、スヒンクスあり、或は空中に棲《す》めるものとし、或は地上の或奥遠なるところに住めりとなす、共に他界に対する観念なり、遠近は世界の広狭によりて差ありしのみ。或は聖美なるもの、或は毒悪なるもの、或は慈仁なるもの、或は獰猛《だうまう》なるもの、宗教の変遷、思想の進達に従ひて其形を
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