が為ならず
 唯《た》だ足に任せて来りしなり
  もれ入る月のひかり
  ても其姿の懐かしき!

   第八
想ひは奔《はし》る、往《ゆ》きし昔は日々に新なり
彼《かの》山、彼水、彼庭、彼花に余が心は残れり、
彼の花! 余と余が母と余が花嫁と
もろともに植ゑにし花にも別れてけり、
思へば、余は暇《いとま》を告ぐる隙《ひま》もなかりしなり。
誰れに気兼《きがね》するにもあらねど、ひそひそ
 余は獄窓《ごくそう》の元に身を寄せてぞ
何にもあれ世界の音信《おとずれ》のあれかしと
 待つに甲斐あり! 是は何物ぞ?
送り来れるゆかしき菊の香《かおり》!
 余は思はずも鼻を聳《そび》えたり、
こは我家《わがや》の庭の菊の我を忘れで、
 遠く西の国まで余を見舞ふなり、
   あゝ我を思ふ友!
   恨むらくはこの香《かおり》
   我手には触れぬなり。

   第九
またひとあさ余は晩《おそ》く醒《さ》め、
 高く壁を伝ひてはひ登る日の光《め》
余は吾花嫁の方に先づ眼を送れば、
 こは如何に! 影もなき吾が花嫁!
思ふに彼は他《ほか》の獄舎《ひとや》に送られけん、
 余が睡眠《ねむり》の中に移された
前へ 次へ
全17ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング