楚囚《そしゆう》之詩
北村透谷
自序
余は遂に一詩を作り上げました。大胆にも是《こ》れを書肆《しよし》の手に渡して知己及び文学に志ある江湖《こうこ》の諸兄に頒《わか》たんとまでは決心しましたが、実の処躊躇《ちゆうちよ》しました。余は実に多年斯《かく》の如き者を作らんことに心を寄せて居ました。が然し、如何《いか》にも非常の改革、至大艱難《かんなん》の事業なれば今日までは黙過して居たのです。
或時は翻訳して見たり、又た或時は自作して見たり、いろいろに試みますが、底事[#「底事」に〔ママ〕と傍書]此の篇位の者です。然るに近頃文学社界に新体詩とか変体詩とかの議論が囂《かまびす》しく起りまして、勇気ある文学家は手に唾《つばき》して此大革命をやつてのけんと奮発され数多の小詩歌が各種の紙上に出現するに至りました。是れが余を激励したのです。是れが余をして文学世界に歩み近よらしめた者です。
余は此「楚囚之詩」が江湖に容《い》れられる事を要しませぬ、然し、余は確かに信ず、吾等の同志が諸共《もろとも》に協力して素志を貫く心になれば遂には狭隘《きようあい》なる古来の詩歌を進歩せしめて、今日行はるゝ小説の如くに且つ最も優美なる霊妙なる者となすに難《かた》からずと。
幸にして余は尚《な》ほ年少の身なれば、好《よ》し此「楚囚[*青空文庫版注1]之詩」が諸君の嗤笑《ししよう》を買ひ、諸君の心頭をを傷《きずつ》くる事あらんとも、尚ほ余は他日是れが罪を償ひ得る事ある可しと思ひます。
元《も》とより是は吾国語の所謂《いはゆる》歌でも詩でもありませぬ、寧《むし》ろ小説に似て居るのです。左《さ》れど、是れでも詩です、余は此様にして余の詩を作り始めませう。又た此篇の楚囚は今日の時代に意を寓したものではありませぬから獄舎の模様なども必らず違つて居ます。唯《た》だ獄中にありての感情、境遇などは聊《いささ》か心を用ひた処です。
明治廿二年四月六日 透谷橋外《きようがい》の僑寓《きようぐう》に於いて[*青空文庫版注2]
北村門太郎《もんたろう》謹識
第一
曽《か》つて誤つて法を破り
政治の罪人《つみびと》として捕はれたり、
余と生死を誓ひし壮士等の
数多《あまた》あるうちに余は其首領なり、
中《なか》に、余が最愛の
まだ蕾《つぼ
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