…神の心は及ぶなる。
思ひ出す……我妻は此世に存《あ》るや否?
彼れ若《も》し逝《ゆ》きたらんには其化身なり、
我《わが》愛はなほ同じく獄裡に呻吟《さまよ》ふや?
若し然らば此鳥こそが彼れの霊《たま》の化身なり。
自由、高尚、美妙なる彼れの精霊《たま》が
この美くしき鳥に化せるはことわりなり、
斯くして、再び余が憂鬱を訪ひ来《きた》る――
誠《まこと》の愛の友! 余の眼に涙は充《み》ちてけり。
第十五
鶯は再び歌ひ出でたり、
余は其の歌の意を解《と》き得るなり、
百種の言葉を聴き取れば、
皆な余を慰むる愛の言葉なり!
浮世よりか、将《は》た天国より来りしか?
余には神の使とのみ見ゆるなり。
嗚呼左《さ》りながら! 其の練《な》れたる態度《ありさま》
恰《あた》かも籠の中より逃れ来れりとも――
若し然らば……余が同情を憐みて
来りしか、余が伴《とも》たらんと思ひて?
鳥の愛! 世に捨てられし此身にも!
鶯よ! 卿《おんみ》は籠を出《い》でたれど、
余は死に至るまで許されじ!
余を泣かしめ、又た笑《え》ましむれど、
卿の歌は、余の不幸を救ひ得じ。
我が花嫁よ、……否な鶯よ!
おゝ悲しや、彼は逃げ去れり
嗚呼是れも亦た浮世の動物なり。
若し我妻ならば、何《な》ど逃《にげ》去らん!
余を再び此寂寥《せきりよう》に打ち捨てゝ、
この惨憺たる墓所《はかしよ》に残して
――暗らき、空しき墓所《はかしよ》――
其処《そこ》には腐《くさ》れたる空気、
湿《しめ》りたる床《ゆか》のいと冷たき、
余は爰《ここ》を墓所と定めたり、
生《いき》ながら既に葬られたればなり。
死や、汝何時《いつ》来《きた》る?
永く待たすなよ、待つ人を、
余は汝に犯せる罪のなき者を!
第十六
鶯は余を捨てゝ去り
余は更に怏鬱《おううつ》に沈みたり、
春は都に如何なるや?
確かに、都は今が花なり!
斯《か》く余が想像《おもい》中央《なかば》に
久し振にて獄吏は入り来れり。
遂に余は放《ゆる》されて、
大赦《たいしや》の大慈《めぐみ》を感謝せり
門を出《いづ》れば、多くの朋友、
集《つど》ひ、余を迎へ来れり、
中にも余が最愛の花嫁は、
走り来りて余の手を握りたり、
彼れが眼《め》にも余が眼にも同じ涙――
又た多数の朋友は喜んで踏舞せり、
先きの可愛《かわ》ゆき
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