も亦た詩人哲学者小説家等が妄《みだり》に真理を貪るを悪《にく》む者なり。然れども蘇峰先生は、悉皆《しつかい》の詩人哲学者小説家を以て、ベベルの高塔を築くものなりとは言はれざりし、神知霊覚といふ事は先生も亦た之を認められたり、赤心[#「赤心」に傍点]を以て観るといふ事も大に吾人の心を得たるものなり。人間は霊質二界に棲む者なり、と「現金世界」に於て言はれたる民友子の金言、吾人之を記憶す、民友子は霊界を非認する人にあらざる事知れてあり、その質界を非認する人にあらざる事も知れてあり。然るに世間には、この論文を以て、理想的文学を排撃する目的より出たる者の様に誤解して、幸ひ「人生問題」のある時なれば、彼等理想を重んずる人々は、全く人性を顧みざる者なり、足の無き仙人の様な者なりなど、兎角|京童《きやうわらべ》の口善悪《くちさが》なき、飛んだ迷惑をするものも出来《いできた》れる次第なるが、これも一つは「人生」といふ字の意義の誤解され易きに因せし者なれば、無暗に敵になり味方になる事なく、心を静めて「人生」の一字を玩味するこそ願はしけれ。
「高蹈派」といふ名称は、何人に加へられたる者なるか、吾人之を知る能
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