を知りたり。別に又た、「頼襄論」の著者が文学嫌なることは兼ねて之を承知せり、而して其文学嫌なる原因は、世の中が華文妙辞を弄《もてあそ》ぶを事として、実際道徳に遠《とほざ》かるを憂ふるに出でたる者なることをも承知して居たるなり。実の所、吾人は「頼襄論」を読んで、非文学党の勢力の余りに強大になりて、清教徒が為《な》したる如き極端にまで進みては、一大事なりと心配したるなり。愛山君は文学が何処までも嫌ひなり、余は文学が何処までも好きなり。余が愛山君に逆《さから》ひたるも之を以てなり。然るに世間には「人生」といふ字の誤り易きところから、往々にして吾人を以て、ライフといふものを軽んずる者の如く認めて、気早なる攻撃を試むる者あり。人性といひ、人情といふなど、元より「人生」、少くとも「頼襄論」の著者が用ひたる「人生」、とは其の意義を異にせり。故に余が評論したるところの「人生」も亦た、人性とか、人情とか、生命とか云ふものには毛頭の関係も無かりしなり。
蘇峰先生の「観察論」は、近来の大文と申すもかしこし、元よりわれら如きが讃美し奉るも恐れ多き事なり。哲学にあらざる哲学は吾人の尤も多く敬服する所なり、吾人
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