々の意味あるべしと雖《いへども》、極めて普通なる意味は、人間の生涯といふ事なり。然るに、近頃英文学思想の漸く入りてより、この人生といふ一字を、彼の語なるライフに当篏《あては》めて用ふる事多くなれり。ライフとは前にも言ひし難問にて、哲学上にも随分面倒なるものなるからに、其の字の意義も仲々広きなり。人間成立の今日の有様にも用ひ、すべての生物の原力にも用ひ、宗教上にては生命の木など言ひて之も亦た別の意義なり、その外種々の意義に用ひらるゝものなることは、少しく英書を解するものゝ容易に見分けらるゝ事なり。
 吾人が「人生相渉論」にて用ひたる「人生」の一字は、「頼襄論」の著者が用ひたる字を取りしなり、吾人は其当時に於て、その著者にその字の意義を訊ねしに、著者は之をファクト(事実)の事なりと答へたり(「頼襄論」の著者は余が敬愛する先輩なり、議論こそ異なれ、余は過去に於ても今日に於ても、著者を敬愛するの情に於ては、一点の相違なきなり、但し口頭の争ひが筆端の争となりたるばかりなり)、爰に於て余は、著者の用ひたる「人生」は、人間現存の有様といふ意義にして、決して人性とか生命とかの義に用ひたるにあらざること
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