るの志あらんや。然るに近頃吾人を評難する者あり、吾人「文学界」の一団を以て、ライフに関する、すべての事を軽んずる者の様に言ひ做《な》して、頻《しきり》に攻撃を試むると覚えたり。余は一個人としては、「文学界」の社末に連れる若年書生のみ、「文学界」全躰として受けたる攻撃に対しては、従来編輯の要務に当れる天知翁の申開《まうしひらき》ありと聞けば、余は決して「文学界」全躰としての攻撃に当る事をせじ、唯だ余一個に対しての攻撃即ち人生問題に関しては、飽《あく》まで其責を負ふ積なり。然れども、讒謗《ざんばう》罵詈《ばり》を極めたるものに対しては、例令《たとひ》如何なる名説なりとも、又如何なる毒説なりとも、之に対して何等の答弁をも為《なさ》ざるべし、余は批評を好むものなり、争ふことを好むものなり、争ふは争ふ為にせざるなり、文章の争に於て敵を作るとも、人と人との間に於て敵を作るを好まざるなり、故に余は讒謗罵詈の始まりたる喧嘩には御暇を頂戴すべし、政党などの争には随分反目疾視してステッキ騒ぎまで遣《や》るも好し、思想界に於て此の真似をせば、世人誰れか之を健全なる喧嘩と言はむ。
 そも人生といへる言葉には種
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