々の意味あるべしと雖《いへども》、極めて普通なる意味は、人間の生涯といふ事なり。然るに、近頃英文学思想の漸く入りてより、この人生といふ一字を、彼の語なるライフに当篏《あては》めて用ふる事多くなれり。ライフとは前にも言ひし難問にて、哲学上にも随分面倒なるものなるからに、其の字の意義も仲々広きなり。人間成立の今日の有様にも用ひ、すべての生物の原力にも用ひ、宗教上にては生命の木など言ひて之も亦た別の意義なり、その外種々の意義に用ひらるゝものなることは、少しく英書を解するものゝ容易に見分けらるゝ事なり。
 吾人が「人生相渉論」にて用ひたる「人生」の一字は、「頼襄論」の著者が用ひたる字を取りしなり、吾人は其当時に於て、その著者にその字の意義を訊ねしに、著者は之をファクト(事実)の事なりと答へたり(「頼襄論」の著者は余が敬愛する先輩なり、議論こそ異なれ、余は過去に於ても今日に於ても、著者を敬愛するの情に於ては、一点の相違なきなり、但し口頭の争ひが筆端の争となりたるばかりなり)、爰に於て余は、著者の用ひたる「人生」は、人間現存の有様といふ意義にして、決して人性とか生命とかの義に用ひたるにあらざることを知りたり。別に又た、「頼襄論」の著者が文学嫌なることは兼ねて之を承知せり、而して其文学嫌なる原因は、世の中が華文妙辞を弄《もてあそ》ぶを事として、実際道徳に遠《とほざ》かるを憂ふるに出でたる者なることをも承知して居たるなり。実の所、吾人は「頼襄論」を読んで、非文学党の勢力の余りに強大になりて、清教徒が為《な》したる如き極端にまで進みては、一大事なりと心配したるなり。愛山君は文学が何処までも嫌ひなり、余は文学が何処までも好きなり。余が愛山君に逆《さから》ひたるも之を以てなり。然るに世間には「人生」といふ字の誤り易きところから、往々にして吾人を以て、ライフといふものを軽んずる者の如く認めて、気早なる攻撃を試むる者あり。人性といひ、人情といふなど、元より「人生」、少くとも「頼襄論」の著者が用ひたる「人生」、とは其の意義を異にせり。故に余が評論したるところの「人生」も亦た、人性とか、人情とか、生命とか云ふものには毛頭の関係も無かりしなり。
 蘇峰先生の「観察論」は、近来の大文と申すもかしこし、元よりわれら如きが讃美し奉るも恐れ多き事なり。哲学にあらざる哲学は吾人の尤も多く敬服する所なり、吾人
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