に純文学の領地を襲はんとす。反動をして反動の勢を縦《ほしいまゝ》にせしむるは余も異存なし、唯だ反動を載せて、他の反動を起さしむるまで遠く走らんとするを見る時に、反動より反動に漂ふの運命を我が文学に与ふるを悲しまざる能はず。愛山生は、文章即ち事業なる事を認めて、「頼襄論」の冒頭に宣言せり。何が故に事業なりや。愛山生は之を解いて曰く、 第一 為す所あるが為なり。 第二 世を益するが故なり。 第三 人世に相渉るが故なりと。
 而して彼は又た文章の事業たるを得ざる条件を挙げて曰く、 第一 空《くう》を撃つ剣の如きもの。 第二 空の空なるもの。 第三 華辞妙文の人生に相渉らざるもの。而して彼は此冒頭を結びて曰く「文章は事業なるが故に崇《あが》むべし、吾人が頼襄を論ずる、即ち渠《かれ》の事業を論ずるなり」と。
 大丈夫の一世に立つや、必らず一の抱く所なくんばあらず、然れども抱く所のもの、必らずしも見るべきの功蹟を建立《こんりふ》するにはあらず。建築家の役々として其業に従ふや、幾多の歳月を費して後、確かに[#「確かに」に傍点]巍乎《ぎこ》たる楼閣を起すの算あり。然れども人間の霊魂を建築せんとするの技
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