人生に相渉るとは何の謂ぞ
北村透谷

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)異《あや》しきまでに

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)亦|斯《かく》の如し。

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)晃々《くわう/\》たる
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 繊巧細弱なる文学は端なく江湖の嫌厭を招きて、異《あや》しきまでに反動の勢力を現はし来りぬ。愛山生が徳川時代の文豪の遺風を襲ひて、「史論」と名《なづ》くる鉄槌を揮《ふる》ふことになりたるも、其の一現象と見るべし。民友社をして愛山生を起たしめたるも、江湖をして愛山生を迎へしめたるも、この反動の勢力の欝悖《うつぼつ》したる余りなるべし。
 反動は愛山生を載せて走れり。而して今や愛山生は反動を載せて走らんとす。彼は「史論」と名くる鉄槌を以て撃砕すべき目的を拡めて、頻《しき》りに純文学の領地を襲はんとす。反動をして反動の勢を縦《ほしいまゝ》にせしむるは余も異存なし、唯だ反動を載せて、他の反動を起さしむるまで遠く走らんとするを見る時に、反動より反動に漂ふの運命を我が文学に与ふるを悲しまざる能はず。愛山生は、文章即ち事業なる事を認めて、「頼襄論」の冒頭に宣言せり。何が故に事業なりや。愛山生は之を解いて曰く、 第一 為す所あるが為なり。 第二 世を益するが故なり。 第三 人世に相渉るが故なりと。
 而して彼は又た文章の事業たるを得ざる条件を挙げて曰く、 第一 空《くう》を撃つ剣の如きもの。 第二 空の空なるもの。 第三 華辞妙文の人生に相渉らざるもの。而して彼は此冒頭を結びて曰く「文章は事業なるが故に崇《あが》むべし、吾人が頼襄を論ずる、即ち渠《かれ》の事業を論ずるなり」と。
 大丈夫の一世に立つや、必らず一の抱く所なくんばあらず、然れども抱く所のもの、必らずしも見るべきの功蹟を建立《こんりふ》するにはあらず。建築家の役々として其業に従ふや、幾多の歳月を費して後、確かに[#「確かに」に傍点]巍乎《ぎこ》たる楼閣を起すの算あり。然れども人間の霊魂を建築せんとするの技師に至りては、其費やすところの労力は直《たゞ》ちに有形の楼閣となりて、ニコライの高塔の如く衆目を引くべきにあらず。衆目衆耳の聳動《しようどう》することなき事業にして、或は大に世界を震ふことあるなり。
 天下に極めて無言なる者あり、山岳之なり、然れども彼は絶大の雄弁家なり、若《も》し言の有無を以て弁の有無を争はゞ、凡《すべ》ての自然は極めて憫《あは》れむべき唖児《あじ》なるべし。然れども常に無言にして常に雄弁なるは、自然に加ふるものなきなり。人間に若し自然の如く無言なるものあらば、愛山生一派の論士は其の傍に来りて、爾《なんぢ》何ぞ能く言はざると嘲らんか。
 人間の為すところも亦|斯《かく》の如し。極めて拙劣なる生涯の中に、尤も高大なる事業を含むことあり。極めて高大なる事業の中に、尤も拙劣なる生涯を抱くことあり。見ることを得る外部は、見ることを得ざる内部を語り難し。盲目なる世眼を盲目なる儘に睨《にら》ましめて、真贄《しんし》なる霊剣を空際《くうさい》に撃つ雄士《ますらを》は、人間が感謝を払はずして恩沢を蒙《かう》むる神の如し。天下斯の如き英雄あり、為す所なくして終り、事業らしき事業を遺すことなくして去り、而《しか》して自ら能く甘んじ、自ら能く信じて、他界に遷《うつ》るもの、吾人が尤も能く同情を表せざるを得ざるところなり。
 吾人は記憶す、人間は戦ふ為に生れたるを。戦ふは戦ふ為に戦ふにあらずして、戦ふべきものあるが故に戦ふものなるを。戦ふに剣を以てするあり、筆を以てするあり、戦ふ時は必らず敵を認めて戦ふなり、筆を以てすると剣を以てすると、戦ふに於ては相異なるところなし、然れども敵とするものゝ種類によつて、戦ふものゝ戦を異にするは其当なり。戦ふものゝ戦の異なるによつて、勝利の趣も亦た異ならざるを得ず。戦士陣に臨みて敵に勝ち、凱歌を唱へて家に帰る時、朋友は祝して勝利と言ひ、批評家は評して事業といふ、事業は尊ぶべし、勝利は尊ぶべし、然れども高大なる戦士は、斯の如く勝利を携へて帰らざることあるなり、彼の一生は勝利を目的として戦はず、別に大に企図するところあり、空を撃ち虚を狙ひ、空の空なる事業をなして、戦争の中途に何れへか去ることを常とするものあるなり。
 斯の如き戦は、文士の好んで戦ふところのものなり。斯の如き文士は斯の如き戦に運命を委《ゆだ》ねてあるなり。文士の前にある戦塲は、
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