渉るが故に人生を離るゝ事も亦た速《すみやか》ならんとす。源頼朝は能く撃てり、然れども其の撃ちたるところは速かに去れり、彼は一個の大戦士なれども、彼の戦塲は実に限ある戦塲にてありし、西行も能く撃てり、シヱクスピーアも能く撃てり、ウオーヅオルスも能く撃てり、曲亭馬琴も能く撃てり、是等の諸輩も大戦士なり、而して前者と相異なる所以は前者の如く直接の敵[#「直接の敵」に傍点]を目掛けて限ある戦塲[#「限ある戦塲」に傍点]に戦はず、換言すれば天地の限なきミステリーを目掛けて撃ちたるが故に、愛山生には空の空を撃ちたりと言はれんも、空の空の空を撃ちて、星にまで達せんとせしにあるのみ。行《ゆ》いて頼朝の墓を鎌倉山に開きて見よ、彼が言はんと欲するところ何事ぞ。来りて西行の姿を「山家集《さんかしふ》」の上に見よ。孰《いづ》れか能く言ひ、執れか能く言はざる。
然れども、文士は世を益せざるべからず、西行馬琴の徒が益したるところ何物ぞと、斯く愛山生は問はむか。
文学のユチリチー論、今日に始まりたるにあらず、吾等の先祖に勧善懲悪説あり、吾等の同時代に平民的批評家としての活用論者を、愛山生に得たるも故なきにあらず、硝子《ガラス》は水晶に比して活用の便あり、以て※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]戸を装ふべし、以て洋燈のホヤとなすべし、天下|普《あまね》く其の活用の便を認むるを得るなり。然れども天下の愚人が水晶といふ活用の便に乏しきものに向つて、高価を払ふは何ぞや。水晶を買ふものをして、数十金を出して露店の硝子玉を買はしめんとする神学を創見するものあらば、余は疑はず、水天宮に参詣する衆生は争ひ来りて其説法を聴聞するなるべし。京山をして、山陽をしてこのテンプルの偶像たらしめば、カーライルをして「英雄崇拝論」に一題を欠きたりしを、地下に後悔せしむることあるべし。
吉野山に遊覧して、歎息するものあり、曰く、何ぞ桜樹を伐《き》りて梅樹を植ゑざる、花王樹は何の活用に適するところあらむ、梅樹の以て千金の利を果実によつて得るに如《し》かんやと、一人ありて傍より容喙《ようかい》して曰へらく、梅樹は得るところの利に於て甘藷《かんしよ》を作るに如かず、他の一人は又た曰く、甘藷は市場に出ての相塲極めて廉なり、亜米利加《アメリカ》種の林檎《りんご》を植ゆるに如かずと。われは是等の論者が利を算するの速なるを喜び、
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