師に至りては、其費やすところの労力は直《たゞ》ちに有形の楼閣となりて、ニコライの高塔の如く衆目を引くべきにあらず。衆目衆耳の聳動《しようどう》することなき事業にして、或は大に世界を震ふことあるなり。
天下に極めて無言なる者あり、山岳之なり、然れども彼は絶大の雄弁家なり、若《も》し言の有無を以て弁の有無を争はゞ、凡《すべ》ての自然は極めて憫《あは》れむべき唖児《あじ》なるべし。然れども常に無言にして常に雄弁なるは、自然に加ふるものなきなり。人間に若し自然の如く無言なるものあらば、愛山生一派の論士は其の傍に来りて、爾《なんぢ》何ぞ能く言はざると嘲らんか。
人間の為すところも亦|斯《かく》の如し。極めて拙劣なる生涯の中に、尤も高大なる事業を含むことあり。極めて高大なる事業の中に、尤も拙劣なる生涯を抱くことあり。見ることを得る外部は、見ることを得ざる内部を語り難し。盲目なる世眼を盲目なる儘に睨《にら》ましめて、真贄《しんし》なる霊剣を空際《くうさい》に撃つ雄士《ますらを》は、人間が感謝を払はずして恩沢を蒙《かう》むる神の如し。天下斯の如き英雄あり、為す所なくして終り、事業らしき事業を遺すことなくして去り、而《しか》して自ら能く甘んじ、自ら能く信じて、他界に遷《うつ》るもの、吾人が尤も能く同情を表せざるを得ざるところなり。
吾人は記憶す、人間は戦ふ為に生れたるを。戦ふは戦ふ為に戦ふにあらずして、戦ふべきものあるが故に戦ふものなるを。戦ふに剣を以てするあり、筆を以てするあり、戦ふ時は必らず敵を認めて戦ふなり、筆を以てすると剣を以てすると、戦ふに於ては相異なるところなし、然れども敵とするものゝ種類によつて、戦ふものゝ戦を異にするは其当なり。戦ふものゝ戦の異なるによつて、勝利の趣も亦た異ならざるを得ず。戦士陣に臨みて敵に勝ち、凱歌を唱へて家に帰る時、朋友は祝して勝利と言ひ、批評家は評して事業といふ、事業は尊ぶべし、勝利は尊ぶべし、然れども高大なる戦士は、斯の如く勝利を携へて帰らざることあるなり、彼の一生は勝利を目的として戦はず、別に大に企図するところあり、空を撃ち虚を狙ひ、空の空なる事業をなして、戦争の中途に何れへか去ることを常とするものあるなり。
斯の如き戦は、文士の好んで戦ふところのものなり。斯の如き文士は斯の如き戦に運命を委《ゆだ》ねてあるなり。文士の前にある戦塲は、
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