人に謳《うた》はれながら、一の批評家ありて其至真を看破し、思想界に紹介するものもなく今日に及びぬ。時なるかな、今年《こんねん》の文学界漸く森厳になりて、幾多思想上の英雄墳墓を出《いで》て中空に濶歩する好時機と共に、渠《かれ》も亦た高峻なる批評家天知子の威筆に捕はれて、明治の思想界に紹介せられたり。
天知君は文覚の知己なり、我は天知君をして文覚と手を携へて遊ばしむるを楽しむ、暗中禅坐する時、彼の怪僧天知君を訪《とぶ》らひ来て、豪談一夜|遂《つひ》に君を起《おこ》して彼の木像を世に顕はさしむるに至りたるを羨《うらや》まず。わが所望は一あり、渠が知己としてにあらず、渠が朋友としてにあらず、渠が裡面の傍観者として、渠の心機一転の模様を論ずるの栄を得む。
蓮池に臨みて蓮蕾《れんらい》の破るゝを見るは、人の難《かた》しとするところなり。蓮華何の精あるかを知らず、俗物の見るを厭ふて幾多の見物人を失望せしむること多しと聞く。暁鴉に先《さきだ》ちて寝床を出で、池頭に立ちて蓮女第一回の新粧を拝せんとするの志あるもの、既に俗物を以て指目するに忍びず、然《さ》れども佳人何すれぞ無情なる、往々にして是等の風
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