、而して「伽羅枕《きやらまくら》」に対して初めて其説を堅うするを得たり。粋と侠とは従来の諸文士の理想なりしに、今日の紅葉にして鞭を挙げて此問題に進まんとは余の期せざりしところなり。さはれ紅葉は徳川時代の所謂好色文士とは品|異《かは》れり、一篇の想膸、好色を画くよりも寧《むし》ろ粋と侠とを狭き意味の理想に凝《こ》らし出でたりと見るは非か。既に紅葉は廓内の理想家にあらず、而して粋と侠とを写す、必らずしも之を崇拝しての著述にあらずとするも、正《まさ》しく粋と侠とを以て主眼となしたるは疑ふ可からざるが如し。余は此書の価直《かち》を論ずるよりも寧ろ此著の精神を覗《うかゞ》ふを主とするなり。即ち紅葉が粋と侠とを集めて一美人を作り、其一代記を書《もの》したる中に、如何なる美[#「美」に白丸傍点]があるを探らんとするなり。
われ曾《かつ》て粋と恋愛との関係を想ひて惑ひし事あり。そは旧作家の画き出せる粋なる者、真の恋愛とは異なる節多ければなり。粋と恋愛とは何処《どこ》かの点に於て相|撞着《どうちやく》するかに思はるゝは非か。試に少しく之を言はむ。
恋愛の性は元と白昼の如くなり得る者にあらず。若《も》
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