出でたり、而して光明を遊廓内に放てり、武士も紳士も此粋様を仰ぎ尊みたり、遊冶社界の本尊仏として、色道修行者の最後の勝利として、此粋様に帰依する者甚だ多かりき。然れども粋様と相照応して共に威光を輝かしたる者こそあれ、そを何と言ふに其頃盛なりし侠客道なり。蓋《けだ》し粋は愛情の公然ならぬより其障子外に発生せしもの、侠は武士道の軟弱になりしより其屏風外に発達せしもの、此二者物異なれども其原因は同様にして、姉と弟との関係あり。然るが故に粋は侠を待つて益※[#二の字点、1−2−22]粋に、侠は粋を頼みて益《ます/\》侠に、この二者、隠然、宗教及び道教以外に一教門を形成したるが如し。
粋と侠とは遊蕩の敗風より生じ、遊廓を以てテンプルとなしたる事前に言へるが如し。然れども当時の文学中の最大部分たる洒落本、戯作の類の大に之に与《あづか》りて力ありし事を思はざる可からず。当時の作家は概《おほむ》ね遊廓内の理想家にして、且つ遊廓塲裡の写実家なりしなり。愛情を高潔なる自然の意義より解釈せず、遊廓内の腐敗せる血涙中より之を面白気に画き出でたる者にて、遊廓内の理想を世に紹介し、世に教導したる者、実に彼等の罪なり。
粋と侠とは遊廓内に生長したり、而して作家は之を世に教へたり。西鶴|其磧《きせき》より下《くだ》つて近世の春水谷峨の一流に至るまで、多くは全心を注いで此粋と侠とを写さんことをつとめたり。抑《そもそ》も粋は人の好むところ、侠も人の愛するところ、然れども粋をして必らずしも身を食ふ虫とならしめ、侠をして必らずしも身を傷《そこな》ふものとならしめしは、先代の作家大に其罪を負はざる可からず。
左《さ》りながら、余は粋と侠とを我が文学史より抽《ぬ》き去らん事を願ふ者にあらず。先にも言へる如く厳格なる封建制度の下にありて、婬靡を制する権《ちから》とては儒教の外になく、宗教の勢力は全く此点に及ぼすところなく、唯だ覚束《おぼつか》なき礼教の以て万法自然なる恋愛を制抑しつゝありしのみなる世に、斯《か》かる変体の仏出現ましまして、以て恋愛の衆生を済度したるは、自然の勢なるべし。粋様と侠様とが相聯《あひつらな》つて、当時の文士の理想となりしも、怪む可き事にはあらず。
紅葉は当今の欧化主義に逆《さから》つて起りし文人なり。純粋の日本思想を以て文壇に重きを持する者なり。われ之を彼が従来の著書に徴して知り
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