粋を論じて「伽羅枕」に及ぶ
北村透谷

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)所謂《いはゆる》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)八幡|摩利支天《まりしてん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1−2−22]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ます/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

 心して我文学史を読む者、必らず徳川氏文学中に粋[#「粋」に白丸傍点]なる者の勢力おろそかならざりしを見む。巣林子以前に多く此語を見ず、其尤も盛なるは八文字屋以後にありと云ふべし。彼の所謂《いはゆる》洒落本《しやれほん》こんにやく本及び草紙類の作家が惟一《ゆゐいつ》の理想とし、武道の士の八幡|摩利支天《まりしてん》に於けるが如く此粋様を仰ぎ尊みたるの跡、滅す可からず。
 粋様[#「粋様」に白丸傍点]の系統を討《たづ》ぬれば、平安朝の風雅之れが遠祖なり。語を換へて言へば、日本固有の美術心より自然的屈曲を経て茲《こゝ》に至りしなり、而《しか》して其尤も近き親《しん》は、戯曲と遊廓とにてありしなり。戯曲の事は他日論ず可ければ此には擱《お》きつ。遊廓と粋様の関係に就きては一言するも無益ならざるべし。抑も当時武門の権勢漸く内に衰へて、華美を競ひ遊惰を事とするに及びて、風教を依持す可き者とては僅《わづか》に朱子学を宗とする儒教ありしのみ。而して儒教の風教を支配する事能はざるは、往時|以太利《イタリー》に羅馬《ローマ》教の勢力地に堕ちて、教会は唯だ集会所たるが如き観ありしと同様の事実なり。然るに各藩の執政者にして杞憂《きいう》ある者は法を厳にし、戒を布《し》きて、以て風俗の狂瀾を遮《さへ》ぎり止めんと試みけれども、遂に如何《いかん》ともする能はず。外には厳格を装ひたる武士道の勇者も、内は言ひ甲斐なき遊冶郎《いうやらう》にてありし。泰平と安逸とは人心を駆つて遊蕩に導くは古今歴史上の通弊なり。徳川氏三百年の治世の下に遊廓の勢力甚だ蔓延したりしも、亦た止《やむ》を得ざる事実なり。
 勇武の士気漸く衰へ、儒道は僅に一流の人心を抑へ、滔々たる遊蕩の気風世に流るゝに当つて、粋様なる文学上の理想世に
次へ
全5ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング