》せむ。手を伸べて燈を揺《か》き消せば、今までは松の軒に佇《たゝず》み居たる小鬼大鬼共哄々と笑ひ興じて、わが広間を填《うづ》むる迄に入り来れり。而してわれは一々彼等を迎接せざりしかども、半醒半睡の間に彼儕《かれら》の相貌の梗概を認識せり。
小鬼大鬼われを囲めり。然れども彼等は悉《こと/″\》く暴戻《ばうれい》悪逆なる者のみにあらず。悉く兇横なる暴威を逞《たくまし》うする者のみならず。中にはわが枕頭に来つて幼稚なる遊戯をなしつ禧笑《きせう》する者もあるなり。何となく心重くなりたれば夜具の袖を挙げて一たび払ふに、大鬼小鬼其影を留めず消え失せぬ。少時《せうじ》にして喧笑放語|傍若無人《ばうじやくぶじん》なる事、前の如し。余りにうるさくなりたれば枕を蹴つて立上り、一隅の円柱に倚《よ》つて無言するに、大小の鬼儕《おにら》再び来らず。静かに思へば、鬼の形しけるは我身を纏ふ百八煩悩の現躰なりける。
静坐|稍《やゝ》久し、無言の妙漸く熟す。暗寂の好味|将《まさ》に佳境に進まんとする時、破笠弊衣の一|老叟《らうそう》わが前に顕はれぬ。われ依《な》ほ無言なり。彼も唇を結びて物言はず。
彼は無言にして我が前を過ぎぬ。暫らくして其形影を見失ひぬ。彼は無言にして来り、無言にして去れり。然はあれども彼の無言こそは、我に対して絶高の雄弁なりしなれ。知る人は知らむ、桃青翁松島に遊びて句を成さずして西帰せしを。而して我を蓋《おほ》ひし暗《やみ》の幕は、我をして明らかに桃青翁を見るの便を与へたり。
怪しくも余は松島を冥想するの念よりも、一句を成さず西帰せし蕉翁の無言を読むの楽みに耽《ふけ》りたり。古《いにし》へより名山名水は詩客文士の至宝なり、生命なり。然れども造化の秘蔵なる名山名水は往々にして、韻高からず調備はらざる文士の為めに其粋美を失却する事あるを免かれず。
飄遊《へういう》は吾《わが》性なり。飄遊せざれば吾性は完からざるが如き感あり。天地粋あり、山水美あり、造化之を包みて景勝の地に於て其一端を露はすなり。詩性ある者が景勝の地に来りて、神《しん》動き気躍るは至当の理なり、然れども景勝の地に僅《わづか》に造化が包裡する粋美の一端なる事を知《しら》ば、景勝其自身に対する観念は甚だ大《おほい》ならずして、景勝を通じ風光を貫いて造化の秘蔵に進み、其粋美を領得するは豈《あに》詩人の職にあらずや。
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