に彼が一代の傑作たる富山《とやま》の奥の伏姫《ふせひめ》を観察して見む。ロマンチック・アイデアリストとしての馬琴の一端は、之を以て窺《うかゞ》ひ知るを得んか。
 わが美文学は、宗教との縁甚だ深からず、別して徳川氏の美文学を以て然りとなす。俳道の達士桃青翁を除くの外《ほか》、玄奥なる宗教の趣味を知りたる者あらず、是あるは恐らく馬琴なるべし、然《しかれ》ども桃青と馬琴とは其方向を異にして仏教の玄奥に入れり、もし桃青の仏教を一言の下《もと》に評するを得ば彼は入道したるなり、もし馬琴の仏教を一言の下に表はすことを得ば彼は知道なり、桃青は履践《りせん》し、馬琴は観念せり、桃青は宗教家の如くに仏道をその風流修行に応用したり、馬琴は哲学者の如くに仏道を其理想中に適用したり、桃青の仏道は不立文字《ふりふもんじ》にして、馬琴の仏道は寧《むし》ろ小乗的なるべし。われは桃青を俳道の偉人として尊敬すると共に、馬琴を文界の巨人として畏敬せざるを得ず。
 軽浮剽逸なる戯作者流を圧倒して、屹然《きつぜん》思想界に聳立《しようりつ》したる彼の偉功の如きは、文学史家の大に注目すべきところなるべし。然《しか》れども是等の
前へ 次へ
全14ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング