此至宝を形容し尽くすこと能はざるべし。噫《あゝ》人生を厭悪するも厭悪せざるも、誰か処女の純潔に遭《あ》ふて欣楽せざるものあらむ。
 然《さ》れども我はわが文学の為に苦しむこと久し。悲しくも我が文学の祖先は、処女の純潔を尊とむことを知らず。徳川氏時代の戯作家は言へば更なり、古への歌人も、また彼《か》の霊妙なる厭世思想家|等《など》も、遂に処女の純潔を尊むに至らず、千載の孤客をして批評の筆硯に対して先づ血涙一滴たらしむ、嗚呼《あゝ》、処女の純潔に対して端然として襟《えり》を正《たゞし》うする作家、遂に我が文界に望むべからざるか。
 夫《そ》れ高尚なる恋愛は、其源を無染無汚の純潔に置くなり。純潔《チヤスチチイ》より恋愛に進む時に至道に叶《かな》へる順序あり、然《しか》れども始めより純潔なきの恋愛は、飄漾《へうやう》として浪に浮かるゝ肉愛なり、何の価直《かち》なく、何の美観なし。
 わが国の文学史中に偉大なる理想家なしとは、十指の差すところなり。近世のローマンサーなる曲亭馬琴に至りては批評家の月旦《ひひやう》甚だ区々たり、われも今|卒《には》かに彼を論評する事を欲せず。細論は後日を期しつ、試み
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