。」とは沙翁の悟道なり。静かに物象を観ずれば、物として定運なきにあらず。誰か恨むべき神を知りそめたる。誰か喞《かこ》つべき仏《ぶつ》を識りそめたる。心を物外に抽《ぬ》かんとするは未だし、物外、物内、何すれぞ悟達の別を画かむ。運命に黙従し、神意に一任して、始めて真悟の域に達せんか。
其七
孤雲野鶴を見て別天地に逍遙するは詩人の至快なり。然《しか》れども苦海塵境を脱離して一身を挺出せんとするは、人間の道にあらず。苦海塵境に清涼の気を輸《はこ》び入るゝにあらざれば、詩人は一の天職を帯びざる放蕩漢にして終らんのみ。
其八
他《ひと》を議せんとする時、尤も多く己れの非を悟る。頃者《ちかごろ》、激する所ありて、生来甚だ好まざる駁撃の文を草す。草し終りて静に内省するに、人を難ずるの筆は同じく己れを難ぜんとするに似たり。是非曲直|軽《かろ/″\》しく判《はん》し難し。如《し》かず、修練鍛磨して叨《みだ》りに他人の非を測らざることをつとむるに。
其九
大なる「悔改《くいあらため》」は、又た一個の大信仰なり。罪の罪たるを知らざるより大なる罪はなし、とはカーラ
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