ゝ》る無邪気の労力をもて我はわが胸中に蟠《わだかま》りたる不平を抑へつ、疲れて帰る夜の麦飯《むぎめし》の味、今に忘れず、老畸人わが往事を説きて大に笑ふ時、われは頭を垂れて冥想す。昔日《せきじつ》のわが不平、幽鬼の如くにわが背後《うしろ》に立ちて呵々《かゝ》とうち笑ふ。遮莫《さもあらばあれ》、わがルーソー、ボルテイアの輩《はい》に欺かれ了らず、又た新聞紙々面大の小天地に※[#「皐+栩のつくり」、第3水準1−90−35]翔《かうしやう》して、局促たる政治界の傀儡子《くわいらいし》となり畢《をは》ることもなく、己《おの》が夙昔《しゆくせき》の不平は転じて限りなき満足となり、此満足したる眼《まなこ》を以《も》て蛙飛ぶ古池を眺《ながむ》る身となりしこそ、幸ひなれ。
 余は八王子に一泊するを好まざりしと雖《いへども》、老人の意見|枉《ま》げ難く止むことを得ずして、俗気都にも増せる市塵《しぢん》の中《うち》に一夜を過せり。明くれば早暁|覊亭《きてい》を出で、馬車に投じて高雄山に向ふ、この時のわが口占《くちずさみ》は、
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すゞ風や高雄まうでの朝まだち
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