業《げふ》を重《おも》んず、工業《こうげう》甚《はなは》だ盛《さかん》ならざるが故《ゆゑ》に中等社界《ちうとうしやくわい》の存《そん》するところ多《おほ》くは粗朴《そぼく》なる農民《のうみん》にして、思《おも》ひ狹《せま》く志《こゝろざし》確《かく》たり。然《しか》れども別《べつ》に社界《しやかい》の大弊根《たいへいこん》の長《なが》く存《そん》するありて、壯年有爲《そうねんゆうい》の士《し》をして徃々《おう/\》にして熱火《ねつくわ》を踏《ふ》み焔柱《ゑんちう》を抱《いだ》くの苦慘《くさん》を快《こゝろよし》とせしむる事《こと》あり。佛人《フツジン》の如《ごと》くに輕佻《けいてふ》動《うご》き易《やす》きにあらず、默念焦慮《もくねんせうりよ》して毒刄《どくじん》を懷裡《かいり》に蓄《たくは》ふるは、實《じつ》に露人《ロジン》の險惡《けんあく》なる性質《せいしつ》なり。
「罪《つみ》と罰《ばつ》」は實《じつ》にこの險惡《けんあく》なる性質《せいしつ》、苦慘《くさん》の實况《じつけう》を、一個《いつこ》のヒポコンデリア漢《かん》の上《うへ》に直寫《ちよくしや》したるものなるべし。ドスト氏
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