》らず、金星は飛んで地球の上に堕ちざるなり、彗星は駆けつて太陽の光りを争はざるなり。大宇宙に純一なるコンシステンシイあるは、流星の時に地上に乱堕するを以て疑ふに足らざるなり。江海の水溢れて天に注ぐ事なく、泰山の土長く地上に住《とゞ》まることを知らば、地上にも亦《ま》たコンシステンシイの争ふ可からざる者あるを悟らざらめや。何をか調実の物と言ふ、マホメット説けり、釈氏説けり、真如と呼び、真理と称へ、東西の哲学者が説明を試みて止《やま》ざる者即ち是《これ》なり。而して吾人は之を基督といふ。基督にありて吾人は調実を求め、基督にありて吾人は宇宙の経綸を知る。ナザレのイヱスは真理を説きたるにあらず、真理にして真理を発顕したる者なり。
基督の経綸には社界分業の法則あらざるなり。社界経済は人間の労苦より起りて、弥縫《びほう》の策に過ぎず、彼と此とを或仮説の法則の下に、定限ある時間の間撞突なからしむるのみ。経済上の問題として世を経営するは寸時の方策のみ。基督の経綸は永遠なり。未来あらず、現在あらず、過去あらざるなり。凡ての未来、凡ての現在、凡ての過去は彼に於て一時のみ。もし天地間、調実《コンシステント
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