規律なり、争ふ事を好むは猿猴《ゑんこう》よりも多く、満足する事|能《あた》はざるは空の鳥に学ばざる可からざるが如し、是非曲直を論ずれども、我利の為に立論するの外を知らず、正邪真偽を説けども、遂に成覚の見《けん》を養ひし事なし、知らず、人間の運命|遂《つひ》にいかならむ。再び猿猴に返らんとするか。
われ庭鳥の食を争ふを見る、而して争ふ時には常に少者《せうしや》の逃走するを見る、少者は母鶏の尤も愛する者なり、而《しか》して慾の即時に於ては、尤も愛する者も尤も悪《にく》む者となり、最後、尤も劣れるもの、尤も敗るゝ者となる。これ天則か。天則果して斯《かく》の如く偏曲なる可きか。請ふ、行《ゆ》いて生活の敗者に問へ、新堀《しんぼり》あたりの九尺二間には、迂濶《うくわつ》なる哲学者に勝れる説明を為すもの多かるべし。
冷淡なる社界論者は言ふ、勝敗は即ち社界分業の結果なり、彼等の敗るゝは敗るべきの理ありて敗れ、他の勝者の勝つは勝つべきの理ありて勝つなり、怠慢、失錯、魯鈍、無策等は敗滅の基なり、勤勉、力行、智策兼備なるは栄達の始めなりと。
われは信ぜず、天地の経綸はひとり社界経済の手にあるを。見ずや
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