最後の勝利者は誰ぞ
北村透谷

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)傲《ほこ》る

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)事|能《あた》はざるは

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「月+(「亶」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」)」、80−上−23]
−−

 人生は戦争の歴史なり。刀鎗銃剣は戦争にあらず。人生即ち是れ戦争。世を殺せし者必らずしも虚栄に傲《ほこ》る勝利者のみにはあらじ、力ある者は力なき者を殺し、権《けん》ある者は権なき者を殺し、智ある者は智なき者を殺し、業《げふ》ある者は業なき者を殺し、世は陰晴常ならず、殺戮《さつりく》の奇巧なるものに至つては、晴天白日の下《もと》に巨万の民を殺しつゝあるなり。銃鳴り剣閃めき、戦血地を染め、腥風《せいふう》草樹を槁《か》らすの時に、戦争の現状を見る、然《しか》れども肉眼の達せざるところ、常識の及ばざるところに、閃々たる剣火は絶ゆる時なきなり。
 人の性は不調子なり、人の命は不規律なり、争ふ事を好むは猿猴《ゑんこう》よりも多く、満足する事|能《あた》はざるは空の鳥に学ばざる可からざるが如し、是非曲直を論ずれども、我利の為に立論するの外を知らず、正邪真偽を説けども、遂に成覚の見《けん》を養ひし事なし、知らず、人間の運命|遂《つひ》にいかならむ。再び猿猴に返らんとするか。
 われ庭鳥の食を争ふを見る、而して争ふ時には常に少者《せうしや》の逃走するを見る、少者は母鶏の尤も愛する者なり、而《しか》して慾の即時に於ては、尤も愛する者も尤も悪《にく》む者となり、最後、尤も劣れるもの、尤も敗るゝ者となる。これ天則か。天則果して斯《かく》の如く偏曲なる可きか。請ふ、行《ゆ》いて生活の敗者に問へ、新堀《しんぼり》あたりの九尺二間には、迂濶《うくわつ》なる哲学者に勝れる説明を為すもの多かるべし。
 冷淡なる社界論者は言ふ、勝敗は即ち社界分業の結果なり、彼等の敗るゝは敗るべきの理ありて敗れ、他の勝者の勝つは勝つべきの理ありて勝つなり、怠慢、失錯、魯鈍、無策等は敗滅の基なり、勤勉、力行、智策兼備なるは栄達の始めなりと。
 われは信ぜず、天地の経綸はひとり社界経済の手にあるを。見ずや、栄達の中《うち》にも苦悩あるを、敗滅の中にも希望あるを。栄達必らずしも勝つにあらず、敗滅必らずしも敗るゝにあらず、王侯の第宅必らずしも福神を宿すところなるにあらず、茅舎の中、寒燈の下、至大なる清栄を感謝するものもあるなり。今日[#「今日」に白丸傍点]のみ凡《すべ》ての問題の立論点ならば知らず、昨日を知り、又た明日を知るを得ば、勝敗が今日の貧富貴賤を以て断ず可からざる事は明白ならむ。
 社界経済の外に吾人を経綸する者あり、吾人は分業の結果を以て甘心する事能はざるの性を有す、吾人は遂に希望を以て生命とするの外あらざるなり。今日[#「今日」に白丸傍点]は吾人の永久にあらず。今日[#「今日」に白丸傍点]は吾人の明日にあらず、言《ことば》を換へて解けば、吾人は今日の為に生きず、明日の為に生くるなり、明日は即ち永遠の始めにして、明日といへる希望は即ち永遠の希望なり。希望は吾人に囁《さゝや》きて曰ふ、世は如何《いか》に不調子なりとも、世は如何に不公平、不平等なりとも、世は如何に戦争の娑婆《しやば》なりとも、別に一貫せるコンシステント(調実)なる者あり。人生のいかに紛糾《ふんきう》せるにも拘《かゝは》らず、金星は飛んで地球の上に堕ちざるなり、彗星は駆けつて太陽の光りを争はざるなり。大宇宙に純一なるコンシステンシイあるは、流星の時に地上に乱堕するを以て疑ふに足らざるなり。江海の水溢れて天に注ぐ事なく、泰山の土長く地上に住《とゞ》まることを知らば、地上にも亦《ま》たコンシステンシイの争ふ可からざる者あるを悟らざらめや。何をか調実の物と言ふ、マホメット説けり、釈氏説けり、真如と呼び、真理と称へ、東西の哲学者が説明を試みて止《やま》ざる者即ち是《これ》なり。而して吾人は之を基督といふ。基督にありて吾人は調実を求め、基督にありて吾人は宇宙の経綸を知る。ナザレのイヱスは真理を説きたるにあらず、真理にして真理を発顕したる者なり。
 基督の経綸には社界分業の法則あらざるなり。社界経済は人間の労苦より起りて、弥縫《びほう》の策に過ぎず、彼と此とを或仮説の法則の下に、定限ある時間の間撞突なからしむるのみ。経済上の問題として世を経営するは寸時の方策のみ。基督の経綸は永遠なり。未来あらず、現在あらず、過去あらざるなり。凡ての未来、凡ての現在、凡ての過去は彼に於て一時のみ。もし天地間、調実《コンシステント
次へ
全2ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング