》なるものひとり彼ありとせば、心を虚《むなし》うして彼の経綸策を講ずる者、豈《あに》智ならずや。
吾人は聞けり、基督は愛なりと。
吾人は聞けり、基督は今も生けりと。
吾人は聞けり、基督は凡ての人類と共にありと。
凡ての人類と共にあり、限りなきの生命《いのち》を以て限りなきの愛を有する者、基督なりとせば、天地の事、豈|一《ひとつ》の愛を以て経綸すべしとなさゞらんや。紛糾せる人生もし吾人をも紛糾の中に埋了し去らば、吾人も亦た※[#「月+(「亶」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」)」、80−上−23]血《せんけつ》を被《かう》ぶるの運を甘んずべし、然れども希望の影吾人を離れざる間は、理想の鈴胸の中に鳴ることの止まざる間は、吾人は基督の経綸を待つに楽しきなり。
博愛は人生に於ける天国の光芒なり、人生の戦争に対する仲裁の密使なり、彼は美姫《びき》なり、この世の美くしさにあらず、天国の美くしさなり、死にも笑ひ、生にも笑ふ事を得る美姫なれども、相争ひ相傷くる者に遭ひては、万斛《ばんこく》の紅涙を惜しまざる者なり。味方の為に泣かず、敵の為に笑はず、天地に敵といふ観念なく、味方といふ思想あらざるなり。基督が世に遣《や》れる政治家は即ち彼なり。
世は相戦ふ、人は相争ふ、戦ふに尽くる期あるか。争ふに終る時あるか。殺す者は殺さるゝ者となり、殺さるゝ者は再《ま》た殺す者となる。勝と敗と誰れか之を決する。シイザルの勝利、拿翁《ナポレオン》の勝利、指を屈すれば幾十年に過ぎず、これも亦た蝴蝶の夢か。誰れか最後の勝利者たる、誰れか永久の勝利者たる。
不調実《インコンシステンシイ》にして戦争の泉源なりとせば、調実は平和の始めなり。争はず戦はざる事を得るはひとり調実なりとせば、終《つひ》に勝たず終に敗れざる者、ひとり調実のみならむ。終に勝たず終に敗れざる者は、真に勝つものにあらざるを得んや。故に曰く、最後の勝利者は調実なりと。調実、言を換ゆれば真理、再言すれば基督。
来れ、共に基督の旗に簇《あつ》まらむ。われら最後の勝利者に従ひ、以てわれらの紛糾せる戦争の舞台を撤去せむ。平和は、われらが基督にありて領有する最後の武器なり。
[#地から2字上げ](明治二十五年五月)
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「平和 二號」平和社(日本平和會)
1892(明治25)年5月18日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2008年1月25日作成
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