思想の外に、更に一物の要すべきあり。

     (7)[#「(7)」は縦中横] 高蹈的思想

 吾人は之を高蹈的思想と呼ぶ、数週前に民友先生が言はれし高蹈派といふ文字と、其意味を同うするや否やを知らず。吾人は実に地平線的思想の重んずべきを知ると雖、所謂高蹈的思想なるものゝ一日も国民に欠くべからざるを信ずるものなり。ヒユーマニチーを人間に伝ふるは、独り地平線的思想の任にあらず、道徳は到底固形の善悪論にあらざれば、プラトーの真善美も、ミルトンの虚想も、人間をして正当に人間たる位地に進ましむるに、浩大《かうだい》なる裨益《ひえき》あることを信ずるなり。ヒユーマニチーは社会的義務の為めにのみ存するにあらず、人間の性質《キヤラクター》は倫理道徳の拘束によりてのみ建設すべきものにあらず、純美を尋ね、純理を探る、世の詩人たり、学者たる者、優に地平線的思想家の預り知らざる所に於て、人類の大目的を成就しつゝあるにあらずや。

     (8)[#「(8)」は縦中横] 何をか国民的思想と謂ふ

 必ずしも国民といふ題目を以て詩歌の材とするを、国民的思想といふにあらざるなり。マルセーユの歌に対して製《つく
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