も或意味に於ては俗物なり、彼等は実に俗物なりしが故にグレートなりしなり。教養《カルチユーア》は素《も》と自然を尊びて、真朴を主とするものなり、古より大人君子の成せしところ、蓋《けだ》し之に過ぐるなきなり、平坦なる真理は遂に天下に勝つべし、此意味に於て吾人は所謂俗物なるものを崇拝するの心あり。然れども、爰に記憶せざるべからざることあり。世間幾多の平坦なる真理を唱ふるものゝ中には、平坦を名として濫《みだ》りに他の平坦ならざるものを罵り、自から謂《おも》へらく、平坦なるものにあらざれば真理にあらずと。斯の如きは即ち真理を見るの眼にあらずして、平坦を見るの眼なり。
思想界には地平線的思想と称すべき者あり、常に人世《アース》の境域にのみ心を注《あつ》め、社界を改良すと曰ひ、国家の福利を増すと曰ひ、民衆の意向を率ゆと曰ひ、極《きはめ》て尨雑《ばうざつ》なる目的と希望の中に働らきつゝあり。国民は尤も多く此種の思想家を要す、凡そ此種の思想家なき所には何の活動もなく、何の生命もなし、然れども記憶せよ、国民は此種の思想家のみを以て甘んずべきにあらざるを。真正のカルチユーアを国民に与ふるが為には、地平線的
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