かにして、百花|妍《けん》を競ふ、之も亦偶然にあらず、自然は意味なきに似て大なる意味を有せり、一国民の消長窮通を言ふ時に於て、吾人は深く此理を感ぜずんばあらず。引力によりて相《あひ》繋纏《けいてん》する物質の力、自由を以て独自|卓犖《たくらく》たる精神の力、この二者が相率ひ、相争ひ、相呼び、相結びて、幾千幾百年の間、一の因より一の果に、一の果より他の因に、転々化し来りたる跡、豈《あ》に一朝一夕に動かし去るべけんや。
然れ共「過去」は常に死に行く者なり。而して「現在」は恒《つね》に生き来るものなり。「過去」は運命之を抱きて幽暗なる無明に投じ、「現在」は暫らく紅顔の少年となりて、希望の袂《たもと》に縋《すが》る。一は死《しに》て、一は生く、この生々死々の際、一国民は時代の車に乗りて不尽不絶の長途を輪転す。
何《いづ》れの時代にも、思想の競争あり。「過去」は現在と戦ひ、古代は近世と争ふ、老いたる者は古《いにしへ》を慕ひ、少《わか》きものは今を喜ぶ。思想の世界は限りなき四本柱なり。梅ヶ谷も爰《こゝ》にて其運命を終りたり、境川《さかひがは》も爰にて其運命を定めたり、凡《およ》そ爰に登り来るも
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