思想の外に、更に一物の要すべきあり。

     (7)[#「(7)」は縦中横] 高蹈的思想

 吾人は之を高蹈的思想と呼ぶ、数週前に民友先生が言はれし高蹈派といふ文字と、其意味を同うするや否やを知らず。吾人は実に地平線的思想の重んずべきを知ると雖、所謂高蹈的思想なるものゝ一日も国民に欠くべからざるを信ずるものなり。ヒユーマニチーを人間に伝ふるは、独り地平線的思想の任にあらず、道徳は到底固形の善悪論にあらざれば、プラトーの真善美も、ミルトンの虚想も、人間をして正当に人間たる位地に進ましむるに、浩大《かうだい》なる裨益《ひえき》あることを信ずるなり。ヒユーマニチーは社会的義務の為めにのみ存するにあらず、人間の性質《キヤラクター》は倫理道徳の拘束によりてのみ建設すべきものにあらず、純美を尋ね、純理を探る、世の詩人たり、学者たる者、優に地平線的思想家の預り知らざる所に於て、人類の大目的を成就しつゝあるにあらずや。

     (8)[#「(8)」は縦中横] 何をか国民的思想と謂ふ

 必ずしも国民といふ題目を以て詩歌の材とするを、国民的思想といふにあらざるなり。マルセーユの歌に対して製《つく》りたる独逸《ドイツ》祖国歌は非常の賞賛を得て、一篇の短歌能く末代の名を存せしと聞く。然れども是れ賞賛のみ、喝采のみ、一の国民の私に表せし同情のみ、未だ以て真正の詩歌界に於ける月桂冠とは云ふべからざるなり。吾人は「早稲田文学」と共に、少くとも国民大の思想を得んことを希望すること切なりと雖、世の詩歌の題目を無理遣りに国民的問題に限らんとする輩に向ひては、聊か不同意を唱へざる可からず。「国民之友」曾《か》つて之を新題目として詩人に勧めし事あるを記憶す、寔《まこと》に格好なる新題目なり、彼の記者の常に斯般《しはん》の事に烱眼《けいがん》なるは吾人の私《ひそか》に畏敬する所なれど、世には大早計にも之を以て詩人の唯一の題目なる可しと心得て、叨《みだ》りに所謂高蹈的思想なるものを攻撃せんとする傾きあるは、豈《あ》に歎息すべき至りならずや。詩人は一国民の私有にあらず、人類全躰の宝匣《ほうかふ》なり、彼をして一国民の為に歌はしめんとするの余りに、彼が全世界の為に齎《もた》らし来りたる使命を傷《やぶ》らしめんとするは、吾人其の是なるを知らず。
 然りと雖、詩人も亦た故国に対する妙高の観念なきにあらず、邦国の区劃は彼に於て左《さ》までの事にはあるまじきが、その天賦の気稟《きひん》に於て、少くともその国民を代表する所なき能はず。之を以てバイロンは如何にその故国を罵るとも、英国の一民たるに於ては終始変るところなく、深く之を其の著作の上に印せり。之を以てレッシングは仏国の思想がライン河を渉《わた》りて、縦《ほしいまゝ》に其の郷国の思想を横領するを悪《にく》みて、大に国民の夢を醒したり。斯く詩人も亦た其の郷土の愛国者たるは、抜くべからざる天稟の存するあればなるべし。
 詩人豈に国民の為にのみ産《うま》れんや、詩人豈に所謂国民的なる狭少なる偏見の中にのみ限られんや、然れども事実に於て、詩人も亦た愛国家なり、詩人も亦た国民の中に生くるものなり。拿翁《なをう》の侵略に遭ひて国亡び、家破れんとするに当りて、従容として、拿翁の玉座に近づき、彼をして言ふ可からざる敬畏の念を抱かしめたるギヨーテが、戦陣に臨みて雑兵の一人となり、尸《しかばね》を原頭に暴《さ》らさゞるの故を以て、国民的ならずと罵るものあらば、吾人は其の愚を笑はずんばあらざるなり。

     (9)[#「(9)」は縦中横] 創造的勢力の淵源

 吾人は再び曰ふ、今日の思想界に欠乏するところは創造的勢力なりと。模倣、卑しき模倣、之れ国民の、尤も悲しむべき徴候なり、我は英国文学を唱道すと宣言し、我は独逸文学を唱道すと宣言し、我は仏国文学を唱道すと宣言す、その外に又た、我は英国思想を守ると曰ひ、我は米国思想を伝ふと曰ひ、我は何、我は何と、各々便利の思想に拠《よ》つて、国民を率ゐんとす。而して又た、少しく禅道を謂ふものあらば、即ち固陋《ころう》なりと罵り、少しく元禄文学を道《い》ふものあらば、即ち苟且《かりそめ》の復古的傾向なりと曰ふ。嗚呼不幸なるは今の国民かな。彼等は洋上を渡り来りたる思想にあらざれば、一顧の価なしと信ずるの止むべからざるものあるか。彼等は摸傚《もかう》の渦巻に投げられて、何時まで斯くてあらんとする。今日の思想界、達士を俟《ま》つこと久し、何ぞ奮然として起り、十九世紀の世界に立つて恥づるなき創造的勢力を、此の国民の上に打ち建てざる。復古、爾も亦た頼むべからず。消化、爾も亦た頼むべからず。誰か能く剛強なる東洋趣味の上に、真珠の如き西洋的思想を調和し得るものぞ、出でよ詩人、出でよ真に国民大なる思想家。外来の勢力と、過
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