。斯の如く余はインヂビジユアリズムの信者なり、デモクラシーの敬愛者なり。然れども、
(5)[#「(5)」は縦中横] 国民の元気
国民の元気は一朝一夕に於て転移すべきものにあらず。其の源泉は隠れて深山幽谷の中に有り、之を索《もと》むれば更に深く地層の下にあり、砥《と》の如き山、之を穿《うが》つ可からず、安《いづ》くんぞ国民の元気を攫取《くわくしゆ》して之を転移することを得んや。思想あり、思想の思想あり、而して又た思想の思想を支配しつべきものあり、一国民は必らず国民を成すべき丈の精神を有すべきなり、之に加ふるに藪医術を以てし、之を率ゆるに軽業師の理論を以てするとも、国民は頑として之に従ふべからざるなり。渠《かれ》を囲める自然は、渠に与ふるに天然の性情を以てし、渠に賦するに、特異の性格を以てす、是等の性情、是等の性格は、幾千年の間その国民の活動の泉源たりしなり、その国民の精神の満足たりしなり。国民も亦た一個の活人間なり、その中に意志《ウイル》あり、その中に自由《リバーチー》を求むるの念あり、国家てふ制限の中に在て其の意志の独立を保つべき傾向を有せずんば非ず。以太利《イタリー》は如何に斧鉞《ふゑつ》を加へて盛衰興亡の運命を悟らしむるも、其の以太利たるは依然として同じ、独逸《ドイツ》も亦た斯の如し、仏蘭西《フランス》も亦た斯の如し。国民の元気の存する処に其の予定の運命あり。死すべきか、生くべきか、嗚呼《あゝ》一国民も亦た無常の風を免れじ、達士世を観ずる時、宜《よろ》しく先づ命運の帰するところを鑑《かんが》むべし、若し我が国民にして、果して秋天霜満ちて樹葉、黄落の暁にありとせんか、須《すべか》らく男児の如く運命を迎ふべし、然り、須らく男児の如く死すべし、国民も亦た其の天職あるなり、其の威厳あるなり、其の死後の名あるなり、其の生前の気節あるなり。之を破らず、之を折らず、而して能く生存競争の国際的関係を、全うし得るの道ありや否や。
デモクラシー(共和制)を以て、我国民に適用し、根本の改革をなさんとするが如きは、極めて雄壮なる思想上の大事業なり、吾人は其の成功と不成功を論《あげつ》らはず、唯だ世人が如何に冷淡に此の題目を看過するかを怪訝《くわいが》しつゝあるものなり。吾人は寧ろ進歩的思想に与《くみ》するものなり、然りと雖、進歩も自然の順序を履《ふ》まざる可からず、進
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