の、必らず又た爰を去らざる可からず。この世界には永久の桂冠あると共に、永久の義罰あり。この世界には曾《か》つて沈静あることなく、時として運動を示さゞるなく、日として代謝を告げざるはなし。主観的に之を見る時は、此の世界は一種の自動機関なり、自ら死し、自ら生き、而して別に自ら其の永久の運命を支配しつゝあるものなり。
 一国民に心性上の活動あるは、自由党あるが故にあらず、改進党あるが故にあらず、彼等は劇塲に演技する優人なれども、別に書冊の裡に隠れて、彼等の為に台帳を制する作者あるなり。偉大なる国民には必らず偉大なる思想あり。偉大なる思想は一投手、一挙足の間に発生すべきにあらず、寧《いづく》んぞ知らん、一国民の耐久的修養の力なるものを俟《ま》つにあらざれば、蓊欝《をううつ》たる大樹の如き思想は到底期すべからざるを。
 過去の勢力は之を軽んずべからず、然れども徒《いたづ》らに過去の勢力に頑迷して、乾枯《かんこ》せる歴史の槁木《かれき》に夢酔するは豈に国民として、有為の好徴とすべけんや。創造的勢力は、何れの時代にありても之を欠く可からず。国民の生気は、その創造的勢力によつて卜《ぼく》するを得べし。尤も多く保守的なるとき、尤も多く固形的なる時、国民は自然に墳墓を眺めて進みつゝあるなり。創造的勢力は、潮水を動かして、前進せしむるもの、之なくては思想豈に円滑の流動あらんや、之なくては国民豈に、進歩的生気あらんや。
 創造的勢力と馬を駢《なら》べて、相|馳駆《ちく》するものあり、之を交通の勢力とす。今や、思想に対する世界は日一日より狭くなり行かんとす、東より西に動く潮あり、西より東に流るゝ潮あり、潮水は天為なり、人功を以て之を支へんとするは、癡人《ちじん》の夢に類するものなり。東西南北は、思想の側《サイズ》のみ、思想の城郭にあらざるなり、思想の最極は円環なり。叨《みだ》りに東洋の思想に執着するも愚なり、叨りに西洋思想に心酔するも癡なり、奔流|急湍《きふたん》に舟を行《や》るは難し、然れども舟師は能く富士川を下りて、船客の心を安うす、富士川を下るは難し、然れどもその尤も難きは、東西の二大潮が狂湧猛瀉して相|撞突《たうとつ》するの際にあり。此際に於て、能く過去の勢力を無みせず、創造的勢力と、交通の勢力とを鉄鞭の下に駆使するものあらば、吾人は之を国民が尤も感謝すべき国民的大思想家なりと言はん
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