94−8]《きやうへう》をも嘲笑すべき城壁となりて、容易に新生気を侵入せしめざるは当然の理なるべし。然れ共、勢の迫るところ、早晩此世界にも大恐慌の来るべきは、何人と雖《いへど》も預察《よさつ》し得る所なり。曩《さき》には桜癡《あうち》居士の文壇より入りて歌舞伎座の作者となりしが如き、近く又美妙氏の野心|勃々《ぼつ/\》として禁じ難く、明年早春を以て、念入りの脚本を出《い》だすべしと聞けば、好《よ》しや当分は一進一退の姿にてあらんも、必らず手腕ある劇詩家の出づるに※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]《およ》んで劇界との折合も付き、爰《こゝ》に此の世界の新面目を開くべしと思はるゝなり。
劇詩に関する評論は、従来諸種の批評家によりてせられき。学海居士の此道に熱心なる由は、古るくより聞及びぬ。逍遙氏の劇論も亦た今に始まりしにあらで、「小説神髄」の著、「該撒《しいざる》奇談」の訳などありし頃よりの事なり、末松博士など直接に文界に関係なき人迄も、之を論議せし時代もありき。近くは忍月居士、折々戯曲論を筆せられし事あり。「柵《しがらみ》草紙」には鴎外漁史の梨園詩人を論ずる一文、其頃
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