之を追ふものなし。前家に碓舂《たいしよう》の音を聴き、後屋に捉績《そくせき》の響を聞く。人朴にして笑語高く、食足りて歓楽多し。都城繁労の人を羨《うらや》む勿《なか》れ、人間|縦心《しようしん》の境は爾《なんぢ》にあり。

     其四 暁起

 一鴉鳴き過ぎて、何心ぞ、我を攪破《かうは》する。忽《たちま》ち悟る人間十年の事、都《す》べて非なるを。指を屈すれば友輩幾個白骨に化し、壮歳久しく停まらざらんとす。逝《ゆ》く者は逐ふ可からず。来る者は未だ頼み難し。友を憶へば零落の人、親を思へば遠境にあり。寝を出て襟を正して端然として坐す。この身功名の為に生れず、又た濃情の為に生れず、筆硯を顧みて暫らく撫然たり。

     其五 乞食

 天の人に対する何ぞ厚薄あらん。富めるもの驕《おご》る可からず、貧しきもの何ぞ自ら愧《は》づるを須《もち》ひん。額上の汗は天与の黄金、一粒の米は之れ一粒の玉、何ぞ金殿玉楼の人を羨まむ。唯だ憫《あは》れむべきは食を乞ふの人。天の彼を罰するか、彼の自ら罰するか、韓郎の古事、世に期し難く、靖節《せいせつ》の幽意、人の悟ることなし。
 夕陽西に傾いて戸々の炊烟《すゐえん》漸く上るの時、一群の村童、奇異の旅客を纏《まと》ふて来る。只だ見る粗造の木車一輛、之を挽《ひ》くものは五十に余れる老爺、之に乗るものは、十歳ばかりも他に増さるべし、乗るものは小鼓を打つて題目を誦し、挽くものは家に就いて喜捨を仰ぐ。髪は霜に打たれし蓬《よもぎ》の如く、衣は垢に塗《まみ》れて臭気高し。われは爾時、晩食を喫了して戸外に出で、涼を納《い》れて散策す。此の躰を見て惆悵《ちうちやう》として去る能はず、熟視すれば乗者の衣は三紋の、あはれ昔時を忍ぶ会津武士、脚は破衣を脱して露《あら》はるゝところ銃創を印し、眼は空しく開けども明を見ず。側目して両者を視れば、むかしながらの義は堅く、主の車を推して主の食を乞ひ、はる/″\と西国の霊塲に詣づるものと覚えたり。吁《あゝ》、当年豪雄の戦士、官軍を悩まし奥州の気運を支へたりし快男子、今は即ち落魄《らくはく》して主従唯だ二個、異境に彷徨《はうくわう》して漁童の嘲罵に遭《あ》ふ。然も主は僕を捨てず、僕は主を離れず、木車一輛、山海を越えて百里の外に旅す。讃《ほ》むべきかな会津武士、この気節を以て而して斯の如し、深く人間を学ぶに堪えたり。蝉羽子《せんう
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