になると否とは、彼の自力なり、斯般《かくのごとき》の理極めて睹易《みやす》きものなるを、今の世往々にして聊《いさゝ》かの自力をも恃《たの》まずして他力を専らにするものあり、神に祈念するを以て惟一の施為となすや、恰《あたか》も彼の念仏講の愚輩の為すところを学ばんとするものゝ如し。告ぐ、基督は救ふべきものを救ひ、救ふべからざるものを救はざる事を、千言万句の祈祷は一たび基督を仰ぎ見るの徳に若《し》かず、仰ぎ見るは心を以て仰ぎ見るべし、祈祷の教会をかしましうするは、尤も好ましからぬことなれ、我は凡ての教会の黙了せん時に、大活気の炎上すべきを信ず。
慈恵の事、伝道の事、世間、其精神を誤解するもの多し、われは今くだ/\しく述ぶるを欲せず。
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最後に
一個人の尤も安く尤も平らか
なるところを尋ねて見む。
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人には各自に何事かの秘密あるものなり、とは詩家某の曰ひし言《ことば》なるが、恨むらくは此言《このげん》に洩るゝものゝ甚だ尠《まれ》なるを。言ひ難きにあらず、発表し難きにあらず、唯だ夫れ日常思惟するところのもの極めて高潔なる事あり、極めて卑下なる事あ
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