り、自《みづか》ら責め、自ら怒り、自ら笑ひ、自ら嘲り、静坐する時、瞑目する時、談笑する時、歩行する時、一々その時々の心の状あれば、その中《なか》に何事か自ら語るを快しとせざるものなき能はず。然れども俗人は之を蓋《おほ》はんとし、至人は之を開表して恥づるところを知らず、俗人は心の第一宮に於て之を蓋はん事を計策す、故に巧を弄して自ら隠慝するところあるなり、然れども至人は之を第二の心宮に暴露して人の縦《ほしいまゝ》に見るに任す、之を被ふにあらず、之を示すにあらず、其天真の爛※[#「火+曼」、第4水準2−80−1]《らんまん》たるや、何人をも何者をも敵とせず味方とせず、わが秘密をも秘密とする念はあるざるなり、然り、斯かる至人の域に進みて後始めて、その秘密も秘密の質を変じ、その悪業も悪業の質を失ひ、懺悔も懺悔の時を過ぎ、憂苦も憂苦の境を転じ、殺人強盗の大罪も其業を絶ちて、一面の白屋、只だ自然の美あるのみ、真あるのみ。
この美こそ、真こそ、以て未来の生命を形くるものなるべし。基督を奉ずるものゝ当《ま》さに専念祈欲すべきもの、蓋《けだ》しこの美、この真の境なるべし。
倒崖の仆《たふ》れかゝらんと
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