径庭《けいてい》あらんや。
宇宙に精神あるが如く人間にも亦た精神あるなり、而《しか》して人間個々の希望は、宇宙の精神に合するにあり、人間世界の最後の希望は、全く宇宙の精神に合躰するにあり。唯理論、唯心論、もしくは又た唯物論、彼等何ものぞ、もしくは又た凡神教《はんしんけう》、彼等何ものぞ、彼等の一を仮ることなくんば、彼等の一に僻することなくんば、遂に人間の希望を達すること能はずとするか、何が故に唯心論を悪しとするか、何が故に凡神論を悪しとするか、何が故に唯物論を悪しとするか、又た何が故に彼等を善しとするか、空々漠々たる癖論家よ、民友子大喝して曰く、「ベベルの高塔を築かんとするは誰ぞ」と。
彼の唯物論、彼の唯心論、彼の凡神論、彼等は各々其使命[#「使命」に傍点]を帯びて来れり、而して彼等は各、其使命の幾分を遂げたり、而して彼等は各々其誤謬[#「誤謬」に傍点]を残したり。看よ人間の歴史は、恒《つね》に善き事をなして、恒に悪しき事を為すにあらずや。恒に真理に近づき、恒に真理に遠《とほざ》かるにあらずや。恒に進歩して、恒に退歩するにあらずや。然れども記憶せよ、宇宙の精神と、人間の精神とは、恒
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