間は遂《つひ》に何のたはれごとなるべきやを疑へり、然り、我が五十年の生涯に万物の霊長として傲《ほこ》るべき日は幾日あるべき、我は我を卑《ひく》うするにあらず、我自ら我を高うせんとするにもあらず、唯だ我が本我のいかに荘厳を飾らしむるも、遂に自らを欺《あざむ》くに忍びざるなり。
我は如何に禅僧の如くに悟つてのけんと試むるとも、我が心宮を観ずること甚深なればなるほど、我は到底悟つてのけること能はざるを知る、風流の道も我を誘惑する事こそあれ、我をして心魂を委《ゆだ》ねて、趣味と称する魔力に妖魅《えうみ》せらるゝに甘んぜしめず。常に謂《おも》へらく、人間はいかにいかなる高尚の度に達するとも、畢竟《ひつきやう》するに或種類の偶像に翫弄《ぐわんろう》せらるゝに過ぎず、悟るといふも、悟ること能はざるが故に悟るなり、もし悟るといふことを全然悟らざるといふ事に比ぶれば、多少は静平にして澹乎《たんこ》たる妙味ありと雖《いへども》、是も一種の階級のみ、人間は遂に、多く弁ぜざれば多く黙し、多く泣かざれば多く笑ひ、一の偶像に就かざれば他の偶像を礼す、一の獄吏に笞責《ちせき》せられざれば他の獄吏の笞責に遭ふ、これ
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